宇宙戦艦ヤマト

「宇宙戦艦ヤマト」は1974年に讀賣テレビ放送・日本テレビ放送網で放送されたテレビアニメである。
この作品は、子供向けアニメ中心の中で視聴率が上がらず苦労したが、再放送で評価され、日本のアニメを大きく発展させる起爆剤となった。
鉄腕アトムも鉄人28号も戦時中の日本の科学者が開発していた戦闘用のロボットであった。
海底軍艦も同様であった。
宇宙戦艦ヤマトを最初に見た時、「ついに神宮司大佐の海底軍艦が宇宙に飛び出したか」と思った。
1970年以降に中国共産党の工作が盛んになり、それ以降に教育を受けた現在の50代、40代の方は「日本は侵略国であった」という自虐史観の影響を受けているが、60代、70代以上はそのような教育は受けていない。
日本はアジアの解放のために戦い、原爆投下という国際法違反の大虐殺には復讐する権利があると考えていた。
こうした風潮が大きく変わるのは1970年代であり、1974年のヤマト発進は最後のチャンスであったと思う。
ヤマト2は、ヤマト1よりさらに軍事色の強いものであり、劇場版では特攻攻撃により地球を救うことになcつている(さすがにテレビ版はそこまではやらなかった)。
この作品の著作のクレジットはオフィスアカデミーであり、小説や漫画などの形で先行した、いわゆる原作(漫画、小説)は存在しない。
・虫プロ商事と瑞鷹エンタープライズにも籍を置いていたオフィスアカデミーのプロデューサー西崎義展が虫プロダクションの山本暎一に声をかけ1973年の初め頃に企画を立ち上げた
・ストーリィは豊田有恒とスタジオぬえのメンバーが参加して練られたものである。
・西崎は海野十三や南洋一郎によるSF冒険作品から影響を受けた。やはり「海底軍艦」と関係していた。
・宇宙船のデザインは戦艦「三笠」から「長門」らしくなり、最終的には「大和」となった。
・1974年の4月頃になって、松本零士がデザインのスタッフとして参加依頼を受けた。既に『宇宙戦艦ヤマト』のタイトルも読売テレビでの放映も決定していた段階での参加であったが、松本の旦那は全てを彼の好みに変えてしまった。これが後の著作権を巡る裁判へとつながってゆく。
・西崎が戦艦大和の出撃シーンに軍艦マーチを使うという素晴らしい発想を、ご禁制の「戦争賛美」であると大反対して止めたのは松本の旦那である。これでヤマトが生き残ったのも事実であろう。
・松本の旦那の祖父は帝国軍人であり、終戦まで米国軍と戦闘機で戦っていた。敗戦後は自衛隊に誘われたが「敵の飛行機には乗れない」と断ったという。海底軍艦の神宮司のような男である。



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by yuyuu-yano | 2014-07-27 04:19 | 宇宙戦艦ヤマト
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