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戦いの放棄が時代を閉塞させる

やはり大学と言うところは、高校を出て入ってはいけませんな。


今日は労働法の研修会に行ってきました。


先生は某大学の先生で、この分野の専門家。


でも、大学時代なら、この種の授業は「ねむいが・・・・」と一言に付きます。


条文の解釈と判例。


ねむい・・・ねむい・・・早く終われ・・・・


 


ところが、今日はまるで眠くない。


実に興味ぶかい話でした。


大学時代と、どこが違うか?


それは経験前と経験後の違い。


説明される事例の殆どが、常に起こっているモメゴトなのですから、これが法的には、どのように解釈されるか?


それを知ることは、とても有意義です。


 


ところで、日本の労働法規というのは、日本では珍しいことに判例主義なのです。


条文には明確な判断基準も無いし、判断理由も書かれていない。


 


 使用者は、労働者に、休憩時間を除き1週間について40時間を超えて、労働させてはならない。 



使用者は、1週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き1日について8時間を超えて、労働させてはならない


 


 このような数字は明確に決まっているが、それ以外の部分は、当事者間のトラブルを裁く過程で決めて行く、英米の法規にような形式なのです。


これは、社会が変化するのだから、その時々の裁判所の判断に任せようという事で、それは、それで良いのだが、問題は日本人の性格。


 


時として一審で、トンでも判決が出ることがあるのだが、これも二審、三審と争う中で是正される。


 


ところが、トンでも判決が出ると、経営者が戦いを放棄して、和解してしまう。要するに金で解決してしまうのである。


その、結果、この判決が確定されてしまう。


 


和解した本人は自業自得であるが、可哀想なのは、その後の裁判。同じ事例があれば判例があるので、経営側は即座に負けることになる。


 


戦いを放棄した者は、生きてゆくことはできないのだ。


 


今の日本の労働法規の情況を見る限り「もう日本で人を雇ってはいけないだよ」との結論に達する。もう、そこまでに至っているが、民主党のマニフェストどおりに実行されると、完全に終わるだろう。 


by yuyuu-yano | 2009-10-16 22:32
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