曽根崎心中  早う殺して





 


wikiより


 


曽根崎心中は、元禄16年4月7日早朝に大阪堂島新地天満屋の女郎・はつ(21歳)と内本町醤油商平野屋の手代である徳兵衛(25歳)が西成郡曾根崎村の露天神の森で情死した事件に基づいている。


 


この事により、露天神は正式名称の露天神社ではなくお初天神と呼ばれる事が多い。


 


人形浄瑠璃『曽根崎心中』の初演は同年5月7日の道頓堀にある竹本座での公演であったが、そのときの口上によるとそれより早く歌舞伎の演目として公演されており、人々の話題に上った事件であったことがうかがわれる。


 


宝永元年(1704年)に刊行された『心中大鑑』巻三「大坂の部」にも「曾根崎の曙」として同じ事件のことが小説の形で記されている。


 


この演目を皮切りとして、「心中もの」ブームが起こった。近松の代表作の1つである『心中天網島』も享保5年(1720年)に発表されている。


 


しかし心中ものに共感した人々の間で心中が流行してしまい、江戸幕府は享保8年(1723年)に上演を禁止すると共に心中した者の葬儀を禁止するなどの措置をとることとなった。


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by yuyuu-yano | 2012-02-22 12:23 | 伝統・感謝・祈り
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