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カール・マリア・フォン・ウェーバー

カール・マリア・フリードリヒ・エルンスト・フォン・ヴェーバー


の旦那は、なぜに男なのにマリアという名が付いているのか気になっていた。


 


竹内まりやに聞いても、私はマリヤで、マリアではおまへん・・・と答えるかは不明。


 


このマリアの旦那は1786年11月18日生まれで 1826年6月5日に39歳で没する。モーツアルトの奥さんの従兄弟である。


 


ドイツ・リューベック近郊のオイティンに生まれる。


片足が不自由であり、小児麻痺であったとも伝えられる。


ヴェーバーが生まれた次の年、父は劇団を結成する。


こうして彼は、幼いころからドイツ、オーストリア全土を回ることとなった。


幼少の際、彼はこれといって特別な才能は見せなかった。しかし、9歳のとき音楽教育を受け、才能を見せる。


1798年から99年にかけて初のオペラ「愛と酒の力」を作曲するが、翌1800年に火事で消失。


その後、誤って硝酸を飲んで声が出なくなる。


1817年、ザクセンの宮廷楽長に任命され、ドレスデン歌劇場に移る。


当時宮廷ではイタリア・オペラが主流であったが、ヴェーバーは自身のドイツ・オペラをもって彼らに戦いを挑む。


また、当時最高のピアニストとしてヨーロッパ各地で演奏を行った。


1821年、ベルリンで「魔弾の射手」を初演。


1826年、ロンドンのコヴェント・ガーデン歌劇場の依頼により、英語によるオペラ「オベロン」を作曲。


 






 


by yuyuu-yano | 2012-12-16 13:32 | クラシック音楽
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