人気ブログランキング | 話題のタグを見る

瑠璃光寺の五重の塔

新山口駅から東京駅まで新幹線で帰るのは、かなり疲れる。
4時間20分。昔よりは短くはなったが・・・

新幹線は、最初から最後まで満員であり、これも疲れる。
途中で、ウトウトして、首筋を痛めた。

いつも宇部空港から飛行機で帰るべきか迷うのだが、
山口から宇部まで1時間掛かるので、いつも帰りは新幹線にするのである。


でも、駅に行く前にちょいと立ち寄った瑠璃光寺の五重の塔は、
相変わらず美しかった。
こうした国宝が市内の中心にあるのだから、山口は素晴らしい町である。
ここから、少し歩けば、夏に蛍の出る川端がある。
県庁の所在地の市街の中央で、蛍が飛び交うのは山口だけである。

5月の新緑の季節も美しいが、秋の紅葉の季節も素晴らしい。

瑠璃光寺の五重の塔_b0302344_13135878.jpg



私が、この五重の塔を最初に見たのは1980年頃である。
大内文化の最高傑作とは聞いていたが、その美しさに感動した。
そして、大内氏について調べたくなった。

大内氏の出自は、百済国の王子琳聖太子の子孫と伝えられている。
平安時代に山口周辺の進出して周防国衙の在庁官となった。
南北朝時代に周防の守護となり、山口に本拠を移すとともに周防・長門の両国を拠点に、石見(島根県)、筑前(福岡県)、豊前(大分県)など7か国を支配し、西国一の勢力を誇った。

大内氏は朝鮮と明(中国)との貿易を推進し、当時の山口は「西の京」とも呼ばれ、京都に次ぐ日本第二の都市となった。
そこで、フランシスコ・ザビエルも、この地を布教の拠点とした。
町の中央にザビエル記念聖堂がある。

大内氏が滅んだ後は、毛利氏がこの地を拠点とし、中国地方全域を領土とする戦国大名となる。毛利氏は、江戸時代は長門・周防に押し込められたが、いつかは江戸幕府を倒すつもりで準備を進めていた。

そして、幕末に薩摩・長州が倒幕へと動くのである。
by yuyuu-yano | 2008-11-19 22:05 | 国内出張・忙中閑有
<< 大麻解禁に関する資料 週刊誌の発行部数 >>