「わかり過ぎて怖いぐらいね・・・」
会場に入るやいなや彼女が呟いた。 確かに会場内にはピリピリした空気が感じられる。 それは画家の研ぎ澄まされた感性から発しているように思われた。 スイスの画家、フェルディナント・ホドラーの展覧会が国立西洋美術館で開催されたのは、1975年の6月7日から7月20日である。 それ以降、ホドラーの展覧会は日本では開催されていない。 ムンクと共に、表現主義の先駆者と目されながら、ホドラーの名は、あまり知られていないように思う。 私の連れの彼女は、病み上がりであった。 彼女は神経科の病院に数年間入院し、退院後のリハビリ中であった。 病院ではハイデッガーやサルトル、ニーチェ等の哲学書を読みあさっていたらしく、 また、多くの患者と様態を見、彼らと様々な議論をして来たため、まだ20歳になったばかりなのに、老成した印象を与えた。 そして、私が一番、驚いたのは、その健康さであった。 人は衰弱して病気になるが、また、健康すぎても病気になる。 肉体的な健康はもちろん、私は彼女の、しなやかな知性、明晰な分析力に舌を巻いていた。 しかし、その明晰さゆえに現実の世界の中では生きにくいこともある。 この世界は、ゆるやかな衰弱と、いくらかの蒙昧を持っていた方が生き易いのである。 フェルディナント・ホドラーの世界は極めて明晰である。 それは、スイスの高地の空気のような透明感を持っている。 「夢」1978年 「秋の夕べ」1897年 「生に疲れし人々」1892年 「昼」1904年 ホドラーは1853年にスイスの首都ベルンで、非常に貧しい職人の家の、6人兄弟の長男として生まれる。 彼の兄弟は幼少の内に結核で全員が死去。 さらに父が死に、母が死に、14歳で彼は天涯孤独となる。 最初は看板職人や観光客相手に絵を売る路上の画家を経験。 小銭をためて、ジュネーブまで歩いて行った。 ジュネーブの美術館で、展示された絵画の模写をしていた時に、美術学校の校長に見出され、彼の学校に入り基礎を学んだ。 その後スペインに渡り、マドリードのプラド美術館に通い巨匠達の絵を見て学ぶ。 その後、ジュネーブに戻るが、貧しい生活が続く。 しかし、50歳を過ぎた頃、その特異な作風は注目されるのである。 ホドラーは50歳までは名も無い貧しい画家であり、その人生の殆どをスイスで過ごし、他の画家達や様々な画壇の運動とは没交渉であった。 ジュネーブ湖 ホドラーの絵は、一部の特徴的な人物画を除くと、その殆どが風景画であり、さらに、スイスの湖を描いたものが圧倒的に多い。 しかし、ホドラーの「湖の絵」の色彩は、印刷物での表現は不可能である。 例えば上の絵の、明るい空と雲を映す湖面は、極めて平面的に広がってみえる。 しかし、この絵の本物を目の前にすると、明るい湖面の下に存在する圧倒的な水の量と、その深さが描かれているのである。 その下に深く冷たい水があるから、水の表は明るく穏やかなのである。 冷徹に死を見つめる目があるからこそ、生の喜びも描けるのである。 あの日に購入したホドラー展のカタログに、何枚かの湖の絵がカラーで収められているが、実物を見た印象とは全く異なっていた。
by yuyuu-yano
| 2014-12-14 14:48
| 絵画
|
by 矢野友遊 カテゴリ
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