カテゴリ:JAZZ( 106 )

ナタリー・コール

ナタリー・コールは、1950年生まれの米国のジャズ・シンガー。
ナット・キング・コールの実娘である。
「親の七光り」と言うが、ナタリー・コールは実力派。
親の七光りを生かしながら、歌の上手さ、ステージの迫力など超一流。
「ナッキンコールも良いけど、ナタリーも良いね」と、十分に親と並んでいる。

1975年にデビュー。
デビュー曲の「ジス・ウィル・ビー」はグラミー賞の最優秀R&B女性ボーカル賞、最優秀新人賞に輝く。その後も、何度もグラミー賞を受賞している。
1980年代の初期は麻薬中毒で一時、歌手活動を中断するが1988年より復活。その後の活躍は素晴らしい。

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お父さんのピアノで歌う、子供の頃のナタリー。


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by yuyuu-yano | 2014-09-06 22:54 | JAZZ

Charlie Parker「バード」



バードは神話的なJAZZマンだったな。
1920年生まれ。
1940年代初頭から、モダン・ジャズの原型となるいわゆるビバップスタイルを創生。
これにより「モダン・ジャズの父」とも言われる。

初期の頃よりヤードバード(Yardbird)呼ばれており、
後に単にバードとも呼ばれた。
なぜ、バードなのかは諸説ある。
でも、どうでも良い。

彼の最盛期は1945年から1948年。
レコードはモノラルばかりである。

1945年、若き日のマイルス・デイヴィスを自分のバンドに起用した。
1947年にはマイルスの初リーダー・セッションもサポートする。

若い頃から麻薬とアルコールに耽溺して心身の健康を損ない、幾度も精神病院に入院するなど破滅的な生涯を送った。
1940年代末以降は演奏に衰えが見られるようになった。衰弱により心不全で早世した。
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by yuyuu-yano | 2014-02-02 20:49 | JAZZ

Julie London - Around Midnight

クライ・ミー・ア・リバーで一躍、有名になった彼女は、人の良さそうな作曲家と親しくなり、やがて結婚する。
彼が、彼女の音楽のプロデュースを担当していたのだ。

http://www.imdb.com/media/rm1567070208/nm0518728


彼女の2枚目のレコードは、再婚した後に出た「アラウンド・ミッドナイト」である。
このレコードには「ミスティ」や「ブラック珈琲」などが入っているのであった。


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by yuyuu-yano | 2013-11-08 19:39 | JAZZ

Bud Powell There will never be another you .



この演奏は晩年のものであり、指が自由に動かない時期のものだが、私は好きで良く聞いていた。
バドは私の好きな演奏家で、相性が良いようだ。
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バド・パウエル
チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーらによって確立されたビバップスタイルのジャズを、ジャズ・ピアノの分野に定着させ「モダン・ジャズピアノの祖」とも称される。
また、現在まで続くピアノ、ベース、ドラムスによる「ピアノ・トリオ」形式を創始した。
1924年、ニューヨークに生まれる。
パウエルの祖父はフラメンコ・ギタリストで、父はストライド・ピアニスト、兄のウィリアムはトランペット奏者という音楽一家で育つ。
また、弟のリッチー・パウエルや、学友のエルモ・ホープも後にピアニストとして名を成すことになる。
バドは最初はクラシックの勉強をしていたが、アート・テイタムらの影響でジャズに興味を持つようになり、15歳になる頃には兄のいるバンドでピアノを弾くようになっていた。

スイング・ジャズ系ピアニストの中でもモダンなスタイルを持つアール・ハインズやビリー・カイルの影響を受けた右手の高速なシングルトーンと、頻繁なコードチェンジに対応するため左手はコードプレーに徹するという、ビバップに最適化された新たな演奏スタイルを確立した。
また、同時代のジャズピアニストであるセロニアス・モンクとは深く親交があり、若き日のパウエルはモンクから音楽理論を学んだと言われている。


1940年代後半から50年代初頭にかけて音楽面の最盛期を迎えるが、50年代中期以降は麻薬やアルコールなどの中毒に苦しみ、精神障害を負う。
しかしながら、不調期の録音においても、呻き声を発しながらの鬼気迫る演奏を聴くことができ、これを含めてパウエルの個性として評価する声が多い。

1960年代初頭は本国アメリカに一種のジャズ不況が訪れ、多くのジャズメンがヨーロッパに活動の場を移した時期であるが、パウエルもまたフランスに渡って活動を続ける。
映画監督のベルトラン・タヴェルニエは、この時期のパウエルの演奏活動のエピソードを元に、映画「ラウンド・ミッドナイト」を撮影している。
良好な環境と好意的な聴衆に支えられて麻薬禍からは脱却するが、既に体はボロボロであり、1966年アメリカに帰国した後に死去。
パウエルは精神疾患の治療で電気ショック療法を受けた
また警官に頭部に暴行を受けた為に、指が以前の様に上手く動かなくなったというのが通説である。
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by yuyuu-yano | 2013-11-06 18:33 | JAZZ

Julie London-Fly Me To The Moon (1964)



女が最も美しくなるという30代後半のジュリィ・ロンドン。
彼女はJAZZスタンダードをメインに歌い、テレビなどで活躍した。
表情も柔らかくなり、まさに女盛りである。

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ヘレン・メリルの歌で有名になった「帰ってくれて嬉しいわ」は、ジュディの歌でもヒットした。
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by yuyuu-yano | 2013-11-01 22:08 | JAZZ

河のように泣け



1955年の映画「皆殺しのトランペット」(監督・主演 ジャック・ウェッブ)の挿入曲とするために作曲され、ゲストとして特別出演したエラ・フィッツジェラルドが歌うことを想定されていた。

・・・が、この曲の採用は検討段階で却下され、エラは別の作曲家の曲を歌う。

しかし、映画を企画したウェッブはハミルトンの曲を惜しみ、
当時自分と離婚したばかりで、元B級女優だが歌手志望でもあったジュリー・ロンドンに「Cry Me a River」を紹介した。

ジュリーは1955年にリバティ・レーベルで、バーニー・ケッセルのギターと、レイ・レザーウッドのウッドベースというデュオ伴奏で、この曲を録音した。

このデビュー曲は同年、「ビルボード」誌のヒットチャートで最高9位に到達するというヒットを飛ばし、ジュリーは歌手としての評価を確立した。
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by yuyuu-yano | 2013-10-31 21:29 | JAZZ

河のように泣け



彼女はキツイ印象がある、はっきりした顔立ちである。


美人なのだろうが、この程度の美女はハリウッドには溢れている。


彼女が離婚した夫から、映画で「ボツ」になった歌を斡旋されなかったら、B級女優としても映画史に残らなかっただろう。
この歌は、エラ・フィッシュジェラルドが歌う予定だったのだから。



ジュリー・ロンドン。
1926年生まれの売れない女優であった。


結婚して、子供を2人か生み、そして離婚した。


その時は自分の人生に嘆いていたことだろう。


そこに、元の旦那から「この曲を歌わないか」のお誘いがあった。


曲は「河のように泣け」。


「貴方は、私を愛してると気が付いたというの。
いまさら何よ。私は、貴方のために毎日、河のように泣いていたのよ。
貴方も、私にために河のように泣くがいいわ」というような歌詞である。



ジュリー・ロンドンは、この歌で歌手としてデビューした。


このスモーキー・ボイスが、世の男性の心を捉えたのだ。


しかし、何故、男は、こうしたハスキーボイスに弱いのだろう。


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by yuyuu-yano | 2013-10-30 19:01 | JAZZ

Cannonball Adderley  Work Song

キャノンボール・アダレイのデビューの話は、プロレス風である。


フロリダ生まれの体の丸い青年が、ニューヨークのJAZZの殿堂「カフェボヘミアン」にやってきて、オスカー・ぺティフォードのバンドに飛び入り参加する


 


プロレスの場合は、リング下から挑発するところだが、この場合は挑発したのか「俺にも吹かせてくんろ」と頼んだのか、詳しい話は伝わっていない。


 


そこで、想像するに・・・・


「ぺティフィードの旦那、ベースの重鎮だかなんだか知らねえが、かったるくて聞いてらんねえよ」


「そんなに言うなら俺と勝負してみるかい坊や」


「上等じゃないか、老いぼれには負けないぜ」


 


ということで、舞台に上がった太目の青年は、バリバリモリモリと吹き始める。この演奏を聴いた客はびっくり。噂が噂を呼び、キャノンボール・アダレイは一夜で衝撃のデビューを飾る。


 


私はキャノンボール・アダレイの初期のバリバリモリモリの演奏が好きである。弟のナット・アダレイとのコンビで吹きまくっているアルバムがあり、このレコードを持っていた。


国内ではまだCD化されない


ジャケットは以下のとおり。


 

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なお、マイルス・デヴィスに弟子入りした後の名盤「サムシング・エルス」は、実はマイルスが主役である。


レコード会社の関係で、マイルスがリーダーにはできないので、キャノンボールが身代わりでリーダーになっているだけである。


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by yuyuu-yano | 2013-09-14 02:23 | JAZZ

今夜はキャノンボール





 


 






 


1950年代のキャノンボールが一番、良いと思う。


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by yuyuu-yano | 2013-09-14 02:21 | JAZZ

ペットの上に座ったら折れるがな 





バードと共に、モダン・ジャズの創始者といわれている
ディージー・ガレスビーの旦那である。

よくぞ、ここまで風船のように頬が膨らむわい・・・と関心するのだが、さらに妙なのが、トランペットのラッパの先が上を向いていること。

なんだこりゃ・・・と私は最初におもったね。
調べて見ると、何かのパーティで、酔っ払いが
椅子の上に置いてあったガレスビーのトランペットの上に、尻餅を付いたらしい。
それで、先が曲がってしまったのだ。

「なんということをするねん」とガレスビーは怒り、
それでも、吹いてみると音は出る。

ドンマイ、ドンマイ・・・とそのまま演奏会でも曲がったペットを吹いていた・・・というのが神話。

尻餅で曲がったのは事実のようで、
ガレスビーは、これを吹いてみると、音が耳の近くで聞こえる。
曲がってるんだからね。
それで、微妙な音の強弱も、演奏者に良く聞こえる利点が分かり、

その後、特注の曲がったペットを楽器屋に依頼して作成、これを演奏していたらしい。
ガレスビーの旦那の演奏はクールで良い。
バードよりも長生きしたのでカラー映像も多数、残されている。



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by yuyuu-yano | 2013-09-11 22:34 | JAZZ