カテゴリ:日本の音楽( 49 )

時代に合わせて呼吸をするつもりはない 淺川マキ



1970年頃、この人の歌はよく聞いた。


デビューアルバム「淺川マキの世界」が出たのは1970年である。


友人から貸してもらい、最終的には購入したと思う。


当時、聞いて良かった。


今、聞いても変わらずに良い。


バックの演奏からジャケット、舞台のスタイルに至るまで、独自の世界を形成し、そして今でも続けている。
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by yuyuu-yano | 2013-10-29 19:14 | 日本の音楽

山本潤子さん素敵



山本 潤子、1949年12月、奈良県吉野郡天川村出身。
性格は「一見クールだが、天然」。
大阪市の阿倍野の歩道橋上で谷村新司に声をかけられボーカルとなったが三ヶ月しか続かなかった。


1969年、後藤悦治郎、平山泰代、山本俊彦、大川茂とともにフォークソンググループ「赤い鳥」を結成。
1974年 「赤い鳥」を解散し、山本俊彦、大川茂とともに新グループ「ハイ・ファイ・セット」結成。
1975年、東芝EMIエキスプレスより「卒業写真」でデビュー。

1977年 「フィーリング」発表。大ヒットとなり、その後も「冷たい雨」(作詞・作曲:荒井由実)、「忘れないわ」(作詞・作曲:小田和正)などがヒットする。

1994年 「ハイ・ファイ・セット」解散。

「燃える秋」は武満徹先生の作曲でしたか・・・。
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by yuyuu-yano | 2013-10-26 00:19 | 日本の音楽

このコメントで全てがわかる





 


誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。


 母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。


 沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました。


宇多田ヒカルのコメント


 


コメントの後半部分であるが、これを読めば全てが分かる。


 


全文はこちら。


 


http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130827-1179351.html


 


 


 


 


 


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by yuyuu-yano | 2013-08-27 12:47 | 日本の音楽

ウナ・セラ・ディ東京

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1963年にザ・ピーナッツが「東京たそがれ」として歌ったのが「ウナ・セラ・ディ東京」の始まりである。


しかし当時はあまりヒットしなかったが、翌年「カンツォーネの女王」として有名なイタリアの歌手ミルバが来日した際、本曲を歌った事を契機に一気にブームとなった(キングレコードのスタッフがミルバの歌唱力の高さを評価した上で本曲を歌わせる事を提案したとも言われる)。


 


ミルバの正確な日本語での歌唱も評判となった。


 


その後、ザ・ピーナッツの「東京たそがれ」も曲調をごく一部変更して、タイトルも「ウナ・セラ・ディ東京」に変更した(「ウナ・セラ・ディ東京」とはイタリア語で「東京のある一夜」(Una Sera di Tokio)と言う意味である)。


 


この頃から本曲がミルバの歌の影響からか、音楽界で再評価されることになり、遂にはザ・ピーナッツのヒット曲の一つとなっていった。


 


ほぼ同時期、和田弘とマヒナスターズ、坂本スミ子、西田佐知子も本曲を歌う様になり、日本でも4者競作となった。


(ウィキより引用)


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私は、この西田バージョンが一番、良いと思う


 


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by yuyuu-yano | 2013-08-24 14:01 | 日本の音楽

樽屋雅徳作曲:マードックからの最期の手紙





 


マードックはタイタニック号の一等航海士である。


タイタニック号が沈む前に、家族に手紙を書いている。


 


これをテーマに銚子の樽屋雅徳氏が作曲したもの。


各地の吹奏楽団で演奏されている。


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by yuyuu-yano | 2013-07-04 11:37 | 日本の音楽

地上の星


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by yuyuu-yano | 2012-10-24 12:24 | 日本の音楽

夏は去る





 


1978年の「サーカス」のヒット曲。ハイファイセットではない。 


 






 


 原曲はフュガンの旦那。


 


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by yuyuu-yano | 2012-10-06 10:28 | 日本の音楽

明日という字は明るい日と書くのね・・・





 


1967年に結成された「ユキとヒデ」は、たった1年で解散。


ヒデは「ヒデとロザンナ」を結成。


佐藤ユキは、アン真理子に変身し、1969年に「悲しみは駆け足でやってくる」で再デビュー。


この歌は佐藤ユキの作詞なんです。


 


若いという字は苦しい字に似てるのだ。


 


しかし・・・この歌を知ってるのは、ご同輩ばかりなり。


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by yuyuu-yano | 2012-08-13 09:24 | 日本の音楽

「白い波」をご存知ですよね。ナベサダでんがな。





 


1967年に、和製ボサノバのデュオとしてデビューした「ユキとヒデ」のデビュー曲。


このヒデは、後の「ヒデとロザンナ」のヒデである。


ユキと別れてロザンナとデュオを組むとは「裏切り者、投降主義者」と、当時の北京放送もヒデを非難していた。


 


でも・・・ボサノバのデュオでは無理だったのかも知れぬ。


この曲は渡辺貞夫の作曲。


当時、ナベサダは新宿のピットインや銀座の「ジャンク」などで、良く見かけた。それ程、売れてない時期であった。


 


 


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by yuyuu-yano | 2012-08-12 22:04 | 日本の音楽

恵比寿と目黒の間にある・・・





 


アメリカ橋。正式名は恵比寿南橋


山手線の目黒駅と恵比寿駅の間にあり、鉄製で青い。


もともとはアメリカセントルイスで1904年に開催されたセントルイス万国博覧会に展示されていたものであった。


それを日本の鉄道作業局(当時)が買い取り、鉄製の橋のモデル橋として1906年(明治39年)に現在地に架設した。橋は1970年に改築されている。


 


アメリカ橋って知ってますか  

目黒と恵比寿の間にある  

下を山手線ごうごう走る 

鉄でできた青い橋   

あなたが教えてくれたのね

あの橋の名前とわけを 

そしてそれが私たちの  

最後の思い出になりました

二人で暮らすことに   

やっと慣れたのは   

気圧配置も秋     

いわし雲が窓に見えていた 


 


 


アメリカ橋は残るでしょう


私が東京を離れても

そしてあなたを思い出すとき

山手線の音がする

最終電車の窓に

あなたの顔が

いくつも浮かんできて

ふるえながら消えて行くのよ

うらんでないわ今は

あなたがわかる     

大人に変わる橋を    

いつの間にか渡る季節ね

 


この曲は1976年に奥山侊伸が作詞、信楽順三作曲で奥山がレコーディングしているが、マイナーだったのね。


それを1979年に狩人がカバーをしてヒットをした。


 


この歌、何故か好きなのです。なんでだろ。 


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by yuyuu-yano | 2012-08-08 22:39 | 日本の音楽