カテゴリ:少年時代( 38 )

鉄人28号はアニメの前に動画があった



漫画「鉄人28号」が「少年」に連載されたのは1956年である。

テレビアニメの「鉄人28号」が、グリコの提供で始まったのは、1963年である。

しかし、その前に実写版の「鉄人28号」があった。

これを見た記憶が「かすか」にある。

1960年に日本テレビ系列で放送された。全13話でモノクロ。

2月に始まり4月には放送終了していた。

記憶によると、鉄人はドラム缶を被ったような着ぐるみで、

敵の着ぐるみロボットと殴りあっていた。動きも単調で、かなり退屈だった。

実は、その実写版を思いだしたのは、先日、2005年に上映された、実写版の「鉄人28号」を、DVDを借りて見たからである。



結論として、鉄人の実写版には無理がある。

鉄人は、武器を持たないロボットなので、殴るしかないのだ。

あの、大きな図体で殴るしかないのは、映像が持たないのである。



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これは目黒川のような気がするが・・・・。ブラック・オックスの片腕が飛ぶ。



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秘密基地を出発する「鉄人28号」。けっこうカッコ良い。



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それでも、結局、殴り合う・・・・しかない。



鉄人は太平洋戦争末期、日本軍が起死回生を掛けて構想したロボット兵器開発計画。

南方の島の地下に秘密研究所を作り、日本の科学者や技術者を総動員して開発を始めたが、完成前に事態を察知したアメリカ軍の爆撃を受け、計画は灰燼に帰した。
戦後、この鉄人計画を引継いだ科学者が、何回も失敗した後に、秘密裏に26号、27号、28号を完成させた。
2005年の松竹映画「鉄人28号」では、金田正太郎の祖父が兵器として開発した鉄人を、その息子が戦後に完成させた後に事故で死去、その子の正太郎が、ブラック・オックスの攻撃から東京を守るために、鉄人を操縦する・・・・というストーリィになっている。

・・・それで、さらに思いだしたのは「鉄腕アトム」の実写版である。

何が怖かったのか詳しく覚えてないのだが、
このアトムの実写版を見て、子供の頃に魘された。
なので、もう一度見たい気がする。
覚えているのが・・・・

・空を飛ぶプレート(マンホールの蓋のようなもの)

・殺人犬



この2つに魘されたのだ。なんだろう???

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by yuyuu-yano | 2014-01-08 23:01 | 少年時代

主題歌しか覚えていない「七色仮面」




「七色仮面」は1959年6月~1960年6月までの1年間、テレビで放映された。

「七色仮面」は、東映が月光仮面の原作者である川内康範氏(森進一とおふくろさん騒動を起した)に依頼して作成したテレビドラマである。

当初から映画化を考えて製作されたので、予算不足の宣弘社の作品(月光仮面等)とは出来が違う。



しかし、筋は全く記憶にない。

多分、出来が良すぎて、子供には面白くなかったのだと思う。

顔が7つに変わるというコンセプトは、どうも子供には分りにくい。

なんとか仮面は、仮面を着ける前が1つ、仮面が1つで、合計2つ。7つに変わる必要はないのだ。
ただ、川内康範氏の書いた歌詞は実に秀逸。

とけない謎を さらりとといて

この世に仇なす 者達を

でんでんどろりこ やっつけろ

でんでんどろりこ やっつけろ

ななつの顔の おじさんの

本当の顔は どれでしょう

  


でんでんどろりこ・・・とは、どのようなやっつけ方なんでしょうか?
なお、二代目「七色仮面」は千葉真一である。

これは千葉真一のデビュー作でもある。


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by yuyuu-yano | 2014-01-08 22:49 | 少年時代

テレビドラマで失神「恐怖のミイラ」

ある時は「アムゼルくん」。

また、ある時は、某おいちゃんのコメント
>

恐怖感のついでに申せば、「恐怖のミイラ」という番組、あれは怖かったなあ・・・ブルブル


この一言で思い出しました。
1961年の番組ですから、実写版「鉄腕アトム」と違い、鮮明に覚えています。


「恐怖のミイラ」のオープニング。

なんとYOU-TUBEにありました。






月光仮面は1958年2月から1959年7月

鉄腕アトム・実写版は1959年3月から1960年5月

鉄人28号・実写版は1960年2月から4月

恐怖のミイラは1961年7月から10月


子供にとっての「2年」の成長は大きいですからね。


「連続テレビドラマとしては日本初となる本格的ホラー作品で、放映当時はあまりの恐怖に失神する視聴者が続出した」



そもそも「ホラー」と言うジャンルが初体験なので、失神する人が出ても不思議でないかも・・・・
プロレスの「力道山・ブラッシー戦」を見て、老人がショック死した時代ですから。



「恐怖のミイラ」は、なんとインターネットで配信中。

以下のサイトでストーリィ等は参照ください。



http://www.dupj.jp/uod/uod_kyoufuno_miila/index.html


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by yuyuu-yano | 2014-01-06 17:38 | 少年時代

「あめふらし」の居る海岸風景





 


少年時代、浜名湖の浅瀬に「あめふらし」が居た。


踏むと紫色の汁を出した。


 


ぐにゃ・・・っとした感触は忘れられない。


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by yuyuu-yano | 2012-08-17 22:10 | 少年時代

団塊世代が学校で習った「葉隠」

私は国語の成績だけは良かった。


昔、旺文社の試験なるものがあり、それが何だか分からなかったが、国語だけは全国で100番以内に入っていた。


そこで、私は国語の先生にとっては「ティーチャーズ・ペット」であった。そこで成績が落ちると「おまえ、弛んでるぞ」と教室で名指しで叱られ、拳骨が落ちた。


体育でもないのに、何故、拳骨なのか?それだけ期待されているということだったと思う。


 


ところが、国語の先生はほぼ全員が進歩的文化人ではなかった。日本の歴史と伝統を愛する守旧派であった。


 


国語の授業では作文の宿題が多く、私の作文は先生のお気に入りで、先生自ら朗読して、素晴らしいと褒めてもらっていた。


ある時、「生きる」というテーマの作文が出て、私が書いたものが、先生を喜ばせた。


「良く生きるには、如何に死ぬべきかを常に考えて、毎日を大切に生きることである」と書いたからである。


 


「これは葉隠ではないか。君は葉隠を知っているか?」と、先生は黒板に大きく「葉隠」の文字を書いた。


私は「葉隠」を知らなかったが「如何に生きるかは、如何に死ぬかを考えるべき」というのは、我が家の家訓のようなもので、常に両親から聞かされていたことを書いたまでである。


「日々、死ぬ準備をしておき、身辺を清浄にしておくべき」と祖先の事例をまじえて教えられていた。


私がそのように話すと、先生は頷き、黒板に「武士道は死ぬことと見つけたり」と大書した。


 


「この葉隠というのは、江戸中期佐賀鍋島藩により編纂された武士道の聖典であるが、君たちの生きるヒントになるから、今日は、この話をしよう」と言うことになった。


当時は学習指導要領などは、無かったのか、あっても先生方が無視していたのか不明だが、あらゆる先生の授業は、いつも脱線していた。


 


「これは、ただ死ねば良い良いう意味ではない。死ぬことを良いことだと言っているわけでもない。人皆生きる方が好きである・・・と葉隠にも書いてある。


君らもそうだろう。私も生きる方が好きだ。


しかし、戦場に出たら真剣勝負が待っている。


この時に、生に執着すると迷いが出て勝てない。


自分の名誉とか、失敗したら犬死だ・・などと考えると剣に迷いが出る。


こうした時は、さっさと死ぬ方につくことだ。うまくいくかどうかなど考えては駄目。その拘りが死を招く。死んだ気になり戦うことで、勝つ可能性も出てくるのである。


しかし、戦場に出て、そこで急に死ぬ気で頑張っても成功しない。日々の訓練が大切だ。


毎朝毎夕の修練でくり返し何度も死んでみて、常時死に身となって居れば、武道に自由を得、一生落度なく家職も仕果たせるものである。これを武道の大丈夫と言う・・・と葉隠に書いてある。


武士だけではなく、我々も、何時、死ぬかは分からないのである。何時、死んでも良いように身辺を綺麗にしておくことだ。そして、今を一所懸命に全力で生きよというのが、武士道の精神だ」


 


この話を生徒達は熱心に聴いていた。


団塊世代の受けた戦後教育なるものは、こういう側面もあったのだ。


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by yuyuu-yano | 2012-08-14 11:34 | 少年時代

馬鹿は死ななきゃ治らない





 


少年時代、浜松に住んでいた。


鮪や鰹は、清水の港からやってきた。


夕食に、白い御飯と鮪や鰹の赤味を食べた。


当時は鮪のトロなどを食べる習慣は無かった。


 


清水の次郎長の子分、森の石松は、遠州の森町の出身である。


森町は山の中である。


森町に友人が居たが考古学の発掘に熱心であった。


 


当時は少年考古学者というのが、けっこう居た。


彼らは発掘して、図面を書き、考古学的分析までやっていた。明智探偵事務所の小林少年より緻密な分析をしていた。


 


受験勉強の無い時代であった。


喧嘩や先生の拳骨はあったが、一方では知的な素晴らしき少年時代であった。


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by yuyuu-yano | 2012-07-30 20:44 | 少年時代

コロンボの女の子(6) 後日談

結局、僕らはオバハンに、店から追い出されてしまった。


翌日、先生に報告だけはしておいた。


その後、女の子は「知り合いの家に預けている」は嘘だったことが判明する。


店の二階に住んでいて殆ど家から出ないが、時々、店の周囲や〇〇銀座通りで一人で遊んでいるらしい。


学校が嫌いというより、オバハンが面倒臭くて行かせないだけのようである。


この時代は家の手伝いで学校を休む子が多かったので、不登校でも目立たなかった。


そもそも、ランドセルなど持ってる子は居なくて、布の袋に教科書やノート、筆記用具を詰めて通っていた。


教科書が買えない場合は支給されるが、ノートや鉛筆や消しゴムは支給されない。


そこで隣の席の子に借りるのだ。私の隣の席の子は、何も持ってないので、鉛筆を貸して、消しゴムは共用した。


 


給食費が払えない家の子は、昼休みは何も言わずに消えた。


私が親しくしていた子は、給食の時間に席に居なかった。


ある日、どこに行ったのかな?と思い、教室の窓から外を見ると、鉄棒のところに彼が居た。一人で鉄棒の練習をしていた。


給食の片付けが済み、彼が教室に戻ってきても、何もいえなかった。


また、クラスに1人は風呂に入らないので臭う子が居た。


本人は風呂が嫌いだから入らないと言っていたが、本当は親に彼を銭湯に行かせる金が無いのかもしれない。


こうした臭い子も、喧嘩になると臭いが武器になるので無敵であった。


 


喧嘩は多かったが、陰湿な虐めは無かった。


あれば子供会のリーダーが止めに入るので、直ぐに収まるのである。


 


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by yuyuu-yano | 2012-03-06 21:03 | 少年時代

コロンボの女の子(5) 対面

勝手口のドアをノックして「ごめんください」と声を掛けてみた。


返事が無い。


再度、試みる。


返事が無い。


 


帰ろうとするとドアが空いて中年の女性が出てきた。


当時としては珍しいことに太っており、さらにビヤダル風で括れがない。


おまけに化粧してないので、疲れた中年のオバハンと言う印象。


でも、店が始まる前に、頭に木の葉を乗せて、美女に化けるに違いない。


 


こちらも驚いたが相手も「あら」と驚いている。


確かに場違いな来客である。


 


僕たち、この地域の子供会の者です。


こちらに女の子が居ると、先生に聞いて来たのですが」


「あら・・ここには居ないわよ」


「女の子が居ると聞いてきました」


え・・ああ、知り合いの家に預けているの


こういう商売なので、夜が遅いので、私は午前中寝ているし、とても面倒が見れないから・・」


「先生が学校に来るようにと言ってました」


「私、引っ越して来たばかりなので、町の様子が分からないのよ・・・」


「僕たち、集団登校してますので、毎朝、迎えに来ます。


母さんは寝ていても問題ありません。そういう家は他にもたくさんあります」


都市部では兄弟姉妹で食事を作り、しっかり片付けまで済ませてから登校という家はけっこうある。お父さんが夜勤で、お母さんが病弱の場合なら、長女や長男がお母さんの代わりに食事を作るのである。


「そうね、迎えに来てくれるなら安心ね。でも、前の町に居た時も、学校にはあまり行ってないのよ。行きたがらないしね。でも、貴方達の仲間に入れてもらえば行くかも知れない。聞いてみるわ」


 


それからオバハンは「来てくれてありがとね」を連発しながら子供達を追い出しに掛かるのであった。


 






 


 


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by yuyuu-yano | 2012-03-06 15:20 | 少年時代

コロンボの女の子(4) 訪問

コロンボ探検隊は、男の子だけとなった。


土曜日は授業が半ドンなので、その後に行ってみることになった。


男の子達がイメージしていた女の子は・・・


 


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こんな感じ。


オリエンタルカレーのイメージ。 


 






 


バー・コロンボは〇〇銀座の奥から伸びる横丁の奥にあった。


店は開いてなかった。その周囲の店も閉店状態。


もっとも土曜日の午後だから空いているはずもなく、実は夜まで待っても営業するかも分からなかった。


 


しかし、初めて風俗街の足を踏み入れた少年に、そのあたりの事情は分からず「やはり、先生の言うとおり、店は閉店で誰も居ないや」と思ったのである。


それでも、念のためにドアをノックしてみた。


反応無し。


「ごめんください」と声を掛けてみた。


反応無し。


「帰ろうか」と誰かが言う。


「でも裏に勝手口があるかも知れない」と誰かが言う。


店の横に、細い通路があり、それが裏に通じていた。


全員がそこを抜けて店の裏に出ると、やはり勝手口のドアがあった。


 


 


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by yuyuu-yano | 2012-03-05 12:08 | 少年時代

コロンボの女の子(3) 日本の伝統的な自治組織

さて、子供会であるが、これは子供組の伝統を引き継ぐものであった。


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世界大百科事典 第2版

こどもぐみ【子供組】

 

村落や都市のうちでも伝統のある古い町の内部で地域的に、しかも行事のつど随時編成される子どもの年齢集団。


若者組や娘組が存在した時代には、それらの下位に属した。


呼称としては子供仲間、小屋仲間、あるいは行事にちなむ塞の神仲間、天神講などがあるが、特定の呼称をもたない例もある。


また6歳から15歳までの、すべての男児によって構成されるのがふつうだが、ときには女児が混じる型もみられる。


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 若者組とは、伝統的社会における年齢集団の一つ。


若者衆、若者仲間、若者連中など地域によっても様々に呼ばれていた。


近世の村(自然村、部落、集落)において、地域社会を支える集団の一つとしての機能が確立したと考えられ、これらの機能は、近代以降も引き継がれていた場合が多い。


 


若者組への加入・脱退の決まりは大きく2つに分けられる。


1つは、その村の男子全員が加入するというタイプで、多くの場合は結婚を機に脱退する。


もう1つは、各戸から1人(長男)だけが加入するというタイプで、多くの場合、結婚ではなく一定の年齢に達すると脱退するというものであった。


いずれの場合も、一定年齢(15歳くらい)に達すると加入する。


若者組に加入したものは、村で一人前という事になり、加入の際に、厳しい試練を課する事もあった(加入儀礼)。


 


若者宿、若衆宿などといわれる拠点があり、そこに寝泊りしたり、共同で作業したりする場合が多かった。


村内の警備や様々な作業を行ったり、共同で集まり親睦を図った。


特に祭礼では、若者組のメンバーが子供組を指導して中心的に運営を行う場合が多かった。


 


男性の若者宿に対して同じ年頃の女性が集まる娘宿の存在する地域もあり、この場合、双方の交流によって結婚相手を探すという意味があった。


若者組は村内の恋愛、性、結婚を管理する側面を持ち、「村の娘と後家は若衆のもの」などという表現がなされた。


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以上のように、子供会というのは、近世からの子供組の伝統を継承するものであり、大人の世界とは独立した自治組織であった。


この子供組を指導する役割は若者組なのである。


それゆえ若者組が愚連隊になってしまうと、子供組もその予備軍になってしまうのだ。


 


子供会は子供組の伝統を継ぐため男児中心の組織であった。江戸川乱歩の「少年探偵団」も子供組の伝統の上に乗っていると思われる。


ただし、少年探偵団に花崎まゆみが居るように、女児も一定の役割を果たすが、基本的には少年達が守るべき存在であった。


 


子供会のリーダーは民主的な選挙などで選ばれるのではなく、自然に決まるのである。


昔から子供達の間で特定の子をターゲットにした「虐め」があったが、これを止めさせるのはリーダーであった。


それだけの実力(知力+腕力)がなければリーダーにはなれない。


猿山のボスが自然に決まるように、子供会の会長も自然に決まるのであった。


 






 


 


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by yuyuu-yano | 2012-03-04 19:39 | 少年時代