この演奏は晩年のものであり、指が自由に動かない時期のものだが、私は好きで良く聞いていた。 バドは私の好きな演奏家で、相性が良いようだ。 ------------------------------------- バド・パウエル チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーらによって確立されたビバップスタイルのジャズを、ジャズ・ピアノの分野に定着させ「モダン・ジャズピアノの祖」とも称される。 また、現在まで続くピアノ、ベース、ドラムスによる「ピアノ・トリオ」形式を創始した。 1924年、ニューヨークに生まれる。 パウエルの祖父はフラメンコ・ギタリストで、父はストライド・ピアニスト、兄のウィリアムはトランペット奏者という音楽一家で育つ。 また、弟のリッチー・パウエルや、学友のエルモ・ホープも後にピアニストとして名を成すことになる。 バドは最初はクラシックの勉強をしていたが、アート・テイタムらの影響でジャズに興味を持つようになり、15歳になる頃には兄のいるバンドでピアノを弾くようになっていた。 スイング・ジャズ系ピアニストの中でもモダンなスタイルを持つアール・ハインズやビリー・カイルの影響を受けた右手の高速なシングルトーンと、頻繁なコードチェンジに対応するため左手はコードプレーに徹するという、ビバップに最適化された新たな演奏スタイルを確立した。 また、同時代のジャズピアニストであるセロニアス・モンクとは深く親交があり、若き日のパウエルはモンクから音楽理論を学んだと言われている。 1940年代後半から50年代初頭にかけて音楽面の最盛期を迎えるが、50年代中期以降は麻薬やアルコールなどの中毒に苦しみ、精神障害を負う。 しかしながら、不調期の録音においても、呻き声を発しながらの鬼気迫る演奏を聴くことができ、これを含めてパウエルの個性として評価する声が多い。 1960年代初頭は本国アメリカに一種のジャズ不況が訪れ、多くのジャズメンがヨーロッパに活動の場を移した時期であるが、パウエルもまたフランスに渡って活動を続ける。 映画監督のベルトラン・タヴェルニエは、この時期のパウエルの演奏活動のエピソードを元に、映画「ラウンド・ミッドナイト」を撮影している。 良好な環境と好意的な聴衆に支えられて麻薬禍からは脱却するが、既に体はボロボロであり、1966年アメリカに帰国した後に死去。 パウエルは精神疾患の治療で電気ショック療法を受けた また警官に頭部に暴行を受けた為に、指が以前の様に上手く動かなくなったというのが通説である。
by yuyuu-yano
| 2013-11-06 18:33
| JAZZ
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by 矢野友遊 カテゴリ
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