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悲しみのサンバ  老いたるバーデン・パウエル

私がバーデン・パウエルを知ったのは1970年頃。

偶然、レコード屋で見つけて、聞いてみると実に良い。

何回、聞いても飽きないので、毎朝、珈琲を飲みながら聞いていた。

友人に「バーデン・パウエルって知ってるか?」

と聞くと「彼は超絶技巧のギタリストとして有名だ」と言う。

(この友人は後に小説家になった)



バーデン・パウエルは1937にリオ・デ・ジャネイロ生まれた。

父親は靴屋であるが、音楽もやっていたらしい。

息子は、父の影響で最初にバイオリンを習い、4歳の時にギターに転向する。

そして15歳になってナイトクラブ等で演奏して日銭を稼ぐ。

19歳の時、
サンバ・トリスチ(悲しみのサンバ)を作曲する。

これがヒットして一躍有名になる。



1960年にブラジルに新しい音楽の潮流としてボサ・ノバが生まれる。

バーデン・パウエルは、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト等と、初期ボサ・ノバの創始者となる。



1970年以降、バーデン・パウエルは活躍の場を欧州に移す。

その後、20年間は欧州に在住して演奏活動を進めた。

映画
「男と女」のサウンドトラックの製作なども行う。



晩年、体調を崩したパウエルは、故郷のブラジルに帰る。

2000年9月26日に肺炎の為にリオデジャネイロで死去。



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1970年頃のバーデン・パウエルはエネルギッシュで、私にはそのイメージしか残っていない。

しかし、彼は晩年まで演奏を続けていたのである。



YOUTUBEに以下の映像を見つけた。

まずは、若い頃のパウエルから晩年のパウエルの演奏写真を構成した動画。



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大きなコンサート会場での「悲しみのサンバ」。若い頃の演奏



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そして、老境に達したパウエルの「悲しみのサンバ」

19歳の時に作曲し、おそらく何千、何万回、歌っている曲を、静かに歌うパウエル。実に心に沁みます。



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最後に「ブラジルの肖像」と言う曲です。

こうした静かな曲も数多く作曲しました。








by yuyuu-yano | 2009-10-18 11:21 | タンゴ
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