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醜悪なポエムですね。復興への提言

政府の復興構想会議の提言を読み始めるが、


この序文のところで、読む気を無くする。


 


ポエムですね。


被災者には見せられない作文です。


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今回の震災における被災者には、果たして何色が印象づけられたであろうか。それはあるいは海岸からおし寄せた濁流うずまくどすぐろい色かもしれぬ。


いやそれは津波が引いた後のまちをおおいつくす瓦礫の色かもしれぬ。パニックに陥ることなく黙々とコトに処する被災した人々の姿からは、色味はどうであれ、深い悲しみの色がにじみ出ていた。


その彼等のよき振舞いを、国際社会は驚きと賛美の声をもって受けとめた。そして国際社会からの積極的支援を促すこととなった。




そこへ、色も臭いもなく、それが故に捉えどころのない原発被害が生ずる。

国内外に広がる風評被害を含めて、今回の災害は、複合災害の様相を呈するのだ。


 


したがって復興への道筋もまた単純ではなく、総合問題を解くに等しい難解さを有する。複合災害をテーマとする総合問題をどう解くのか。この「提言」は、まさにこれに対する解法を示すことにある。


 


実はどの切り口をとって見ても、被災地への具体的処方箋の背景には、日本が「戦後」ずっと未解決のまま抱え込んできた問題が透けて見える。


 


その上、大自然の脅威と人類の驕りの前に、現代文明の脆弱性が一挙に露呈してしまった事実に思いがいたる。


 


われわれの文明の性格そのものが問われているのではないか。


 


これ程大きな災害を目の当りにして、何をどうしたらよいのか。


 


われわれは息をひそめて立ちつくすしかない。


 


問題の広がりは余りに大きく、時に絶望的にさえなる。


 


その時、程度の差こそあれ、未曾有の震災体験を通じて改めて認識し直したことは何か、われわれはこの身近な体験から解法にむかうしかないことに気づくことだ。




われわれは誰に支えられて生きてきたのかを自覚化することによって、今度は誰を支えるべきかを、震災体験は問うている筈だ。
 


 


 


 


その内なる声に耳をすませてみよう。


 


おそらくそれは、自らを何かに「つなぐ」行為によって見えてくる。


 


人と人とをつなぐ、地域と地域をつなぐ、企業と企業をつなぐ、市町村と国や県をつなぐ、地域のコミュニティの内外をつなぐ、東日本と西日本をつなぐ、国と国をつなぐ。


 


大なり小なり「つなぐ」ことで「支える」ことの実態が発

見され、そこに復興への光がさしてくる。


被災地の人たちは、「つなぐ」行為を重ねあうことによって、まずは人と自然の「共生」をはかりながらも、「減災」を進めていく。


 


次いで自らの地域コミュニティと地域産業の再生をはたす。「希望」はそこから生じ、やがて「希望」を生き抜くことが復興の証しとなるのだ。


 


被災地外も同様である。


たとえば、東京は、いかに東北に支えられてきたかを自覚し、今そのつながりをもって東北を支え返さねばならぬ。西日本は次の災害に備える意味からも、進んで東北を支える必要がでてくる。


 


そしてつなぎあい、支えあうことの連鎖から、「希望」はさらに大きく人々の心のなかに育まれていく。


 


そもそも、自衛隊をはじめとする全国から集まった人々の献身的な救助活動は、まさにつなぎあい、支えあうことのみごとなまでの実践に他ならなかった。


 


そこで引き続き東北の復興を国民全体で支えることにより、日本再生の「希望」は一段と身近なものへと膨らんでいく。


 


そしてその「希望」を通じて、人と人をつなぐ「共生」が育まれる。


 


それは日本にとどまらず、全世界規模の広がりを持つ。


あの災時に、次から次へと、いかに世界中からの支援の輪がつながっていったか。


 


われわれはそれを感動を持って受け止めた。


 


かくて「共生」への思いが強まってこそ、無念の思いをもって亡くなった人々の「共死」への理解が進むのだ。


 


そしてさらに、一度に大量に失われた「いのち」への追悼と鎮魂を通じて、今ある「いのち」をかけがえのないも

のとして慈しむこととなる。

うしてこそ、破壊の後に、「希望」に満ちた復興への足どりを、確固としたものとして仕上げることができると信ずる。


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もう、そんなこと、どうでもいいから死ね・・と言いたいです。


by yuyuu-yano | 2011-06-28 19:46
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