大井海岸三業地と芸者置屋

京浜急行の大森海岸駅の近くにラブホテルが多いのは知っていた(何故に??)。


 


こういう場所は、昔は三業地だったところである。


料亭があり、芸者置屋があり、栄えた場所が、いまでは場末のラブホテル街になっているのである。


 


五反田の西口もそうね。


 


大森海岸駅の近くは「大井海岸三業地」と呼ばれたらしい。


 


この地で、芸者置屋の再興に尽くした「まつ乃屋」のホームページが、実に良く出来ている。


(でも、創業者のまり子姐さんは去年の秋に永眠) 


 


http://www.vin-de.sakura.ne.jp/matsunoya/index.html


 


三業地の歴史は以下の通り。


 


大森海岸に明治24年ごろ、海水浴場を開設したところ、交通の便の良さも手伝って人気のリゾート地となる。


・この地の発展を予測した資産家が明治26年、八幡橋に隣接する土地に「伊勢源」という料理屋を開店。


・明治27年にはこの地に鉱泉が湧き出たことに加え、日清戦争の好景気を追い風に「魚栄」「松浅」「八幡楼」などの待合、料亭が海浜部・磐井神社周辺に次々とを開店。


明治31年頃、芸妓屋「三輪家」が開業。


・日露戦争後には「鯉家」「日の出屋」「初鰹家」「立花家」など、後にこの花街を代表する芸妓屋が続々と営業を開始。


・「鯉家」が中心となって「海岸芸妓屋組合」も組織され、花街として形成されてゆく。


・大正期には品川海岸、大井、大森海岸、大森新地、森ケ崎、さらに羽田の穴守稲荷神社周辺に形成されていた穴守まで、今からは想像することすら難しい花街の風景が広がっていた。


・最盛期には400人近い芸者が在籍し、明るいうちから三味線の音が流れ、芸者が行き交う街であった。


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by yuyuu-yano | 2010-09-16 18:55 | 悠々な生活
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