人気ブログランキング | 話題のタグを見る

福島の放射線量は十分帰還可能である高田純教授論文のポイント

高田 純(札幌医科大学教授 理学博士)

 


広島は科学者の調査で復興したが福島は政治家がブラックボックスにした

 


■20キロメートル圏内は帰還可能

 


震災直後の’11年4月から実施している福島第一原発20キロメートル圏内を中心とした県民や家畜の放射線衛生調査から、福島県民に放射線健康被害は発生しない(拙著『福島 嘘と真実』医療科学社)。 


浪江町での2泊3日の滞在調査から、内部被曝も合わせて年間の実線量は、政府発表で帰還困難地域と指定されている、浪江町の末の森でさえ帰還できる範囲だった。


牧草地など一部の表土を除染すれば、和牛畜産業などの産業も復興できる科学的結論を得ている。


 


現在、復興の行程が停止している原因は科学的困難ではなく、非科学政策をとっている前民主党政府による放置にあり、基調報告でもその点が強く指摘された。


 


さらに全国の多くの原発が停止させられているが、法的根拠はなく、基準も非科学である。


 




■女川の耐震性は世界一


 

一方、全国の原子力発電所は、それぞれが、真摯に地震津波対策を短期・中期的に取り組んでいる。

私が調査したもんじゅ、伊方の原子力施設は、速やかな稼働再開が可能である。また大津波があるとの予想がある浜岡原発の建設中の津波対策は、高さ22メートルの防波壁に加え、原子炉建屋の耐水性など世界一の技術に挑戦中である。

東海地方が巨大津波に襲われた場合、沿岸で生き残る唯一の施設になるだろう。


マグニチュード9・0の震源から120キロメートルと至近にあった女川原発は、地震波検知で核反応が瞬時に自動停止し、冷却作業も順調に行われて無事だった。女川原発の体育館は女川町民364人の避難場所となるほどの安心感があった。

‘12年12月6日、私は現地を視察し、1号機の格納容器の上、燃料プールを見下ろす位置に立った。地震の影響がない、全く普通の光景が見られ、放射線状態も正常だった。心臓部である原子炉もほぼ無傷、発電タービンは地震を受けて10分間で安全に自動停止した。 ただし、羽の表面が、タービン内壁に接触し若干摩耗した痕跡があった。毎分1千500回転のタービンが、震度6弱でも壊れないほどの耐震性能には驚かされた。


 


世界最初の核攻撃を受けて壊滅した広島は、爆心地でさえ、2か月後に市内の電車の路線が全線開通するなど、初年度から復興に向かった。 しかし、福島では、1年たっても福島第一原子力発電所20キロメートル圏内は復興の兆しが全く見られない。


 


 




■科学者が広島に集まり

 


これまで私は官邸に対し科学的な提言をしてきたが、その原因は政府の非科学・反科学の姿勢と、災害発生時の菅氏から始まった「犯罪的姿勢」にあるといえる。


 


これは過去の核災害時の政府の対応と比べれば明確だ。 ‘45年8月、広島上空での核爆発直後、多数の第一級科学者たちは壊滅した広島へ向かい科学調査を行った。 日本帝国陸軍の核兵器研究の指導科学者である、理化学研究所の仁科芳雄博士は8日17時に広島上空に着いた。持参した写真乾板が感光したことから、核分裂型の爆弾だったことを確信した。


また海軍も大阪帝国大学理学部物理学教室の浅田常三郎教授らの調査団が、広島の現地調査を10日から開始している。


京都帝国大学の調査隊も理学部物理学教室の荒勝文策教授らが10日正午に広島市に到着、災害調査に取り組んだ(拙著『核と刀』第一章 核の昭和史、明成社)。


 


翌9月、文部省学術研究会議が、核爆発災害を総合的に調査するため、「原子爆弾災害調査特別委員会」を設けた。


こうして、わが国の科学者たちが総力を挙げて、核爆発災害の真相解明に取り組んだのだ。


昭和初期の日本科学者による世界最初の核爆発災害研究の図書も出版されている。そうした背景もあり、長崎とも両市は、不死鳥のごとく順調に復興した。 


 


二番目の事例は、’99年9月の東海村ウラン燃料工場で発生した臨界事故である。時の総理大臣、森喜朗氏の号令下、第一級の科学者たちが自発的かつ組織的に、放射線科学調査を現地で展開した。 私も現地に駆け付けた1人だが、事故は比較的速やかに終息して現地は平穏を取り戻した。


だが、福島第一原発の津波災害は20キロメートル圏内が政府により立ち入り禁止区域とされ、大学等の専門家も独自に調査出来ない事態となった。


科学的にブラックボックス化し、1年を経ても全く復興の兆しが見えないままだ。


 


■再稼働止めた原発テロ

 


残念なことに、事故対応で妨害・非科学の旗を振ったのは[赤い総理]菅氏だった。


事故調査委員会報告でも、彼が’11年3月12日に福島第一原発へ乗り込み、炉心冷却作業を妨害したことが明らかになっている。


総理ならいち早く非常用電源やポンプを手配し、自衛隊を活用した空輸もできたが、その任務を放棄した。


 


しかも20キロメートル圏内の医療弱者と、放置された多数の家畜が犠牲になった。


入院患者は転院計画もないまま移動させられ、移動途中、または避難場所で死亡した。その数は70人ともいうが、低線量の放射線で死ぬことはなかった。


 


同様に、放射線で命を落とすことのない牛など多数の家畜が政府命令で殺処分された。


これらは全て、適切・人道的な救出をしなかった菅氏の責任だ。彼は原子力災害特別措置法で定められた対策本部長の仕事も果たさなかった。 


その後も菅氏は反核活動家らを“専門家”と称して呼び寄せ、国会を攪乱した。


 


こうした情報操作は原発テロだ。


つまり、福島原発事故を長引かせて日本社会に不安を振りまき、福島県民を人質にして東京電力を乗っ取った“テロリスト”は、菅氏と枝野幸男元経済産業相である。


彼らが率いてきた民主党への国民審判は非常に厳しく、総選挙では大敗した。


その一方で「日本再建」を訴えた安倍自民党が大勝した。安倍新内閣の直近の課題は、国民と産業界に元気と、電気を送ることだ。


福島20キロメートル圏内の速やかな復興と、無駄に停止されてきた全国の原子力発電所の再稼働を目指し、安倍首相にエールを贈りたい。


chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)chr(hex 45)-


 全文はここに


月刊「テーミス」1月号への寄稿記事


 


 http://www.e-themis.net/feature/read1.php


 


 


法的な根拠がなく、科学的な根拠も無く原発を止めていたのなら首相による犯罪であり賠償責任は避けられない。


 


70人に対する業務上過失致死罪も免れない。


by yuyuu-yano | 2013-01-02 12:26
<< 007ゴールデンアイとコサックの悲劇 国土強靭化とデフレ脱却を必ず成... >>