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身を捨つるほどの 祖国はありや

マッチ擦る


つかの間海に霧ふかし


身捨つるほどの


祖国はありや


 


「空には本」


寺山修司


 


寺山が10代の時に作った短歌をまとめた


第一歌集「空には本」に納められている。


昭和33年の刊行である。


 


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この写真は、ちょいとイメージが違う。


 


その序文。


僕はどんなイデオロギーのためにも「役立つ短歌」は作るまいと思った。


われわれに興味があるのは思想ではなくて思想をもった人間なのであるから。

また作意をもった人たちがたやすく定型を捨てたがることにも自分をいましめた。この定型詩にあっては本質としては三十一音の様式があるにすぎない。


 


様式はいわゆるウェイドレーの「天才は個人的創造でもなく、多数の合成的努力の最後の結果でもない、それはある深いひとつの共同性、諸々の魂のある永続なひとつの同胞性の外面的な現れにほかならないから」である。(中略)


ただ冗慢に自己を語りたがることへの激しい蔑みが、僕に意固地な位に告白癖を戒めさせた。

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この序文を読めば、「身捨つるほどの祖国はありや」の意味もさらに明確になる。


 


「もはや、身を捨てる程の祖国は無い」


それは「祖国」が悪いからだ。


政治が悪いからだ。官僚が悪いからだ。


企業が悪いからだ。


と言っているのではない。


 


身を捨てる程の祖国を持てない者


それ程に崩れた共同体意識


古より続いた永続的なひとつの同胞意識の喪失


 


それを暗い海を見るような思いで見つめている。


ある決意を持って。


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1968年から69年に掛けて、日本の大学では学園紛争に明け暮れたことになっている。


 


先輩に聞くと、一部の左翼学生が校内を占拠して、政治運動の拠点にしているとのこと。


 


「そりゃ、まずかんべえ」


「彼らは大学は自治区であるなんて主張しているらしい。かるちえらたん・・・だとか・・・」


「何のこっちゃ」


 


そのため、大学が機動隊を入れて学生を排除して、学校をロックアウトした。


それで、授業が行われてないんだよ・・・と言う話であった。


彼らは「やることないのでアルバイトでもやるか」と初めて、中には、そのまま就職してしまったのもいる。


 


この時期に私は受験勉強をしていた。


当時の受験雑誌に寺山修司は、読者から寄せられた詩の批評を連載していたが、これが実に面白かった。


 


しかし、この時期は、まだ共同体意識も、祖国なる言葉も残っていたと思う。


 


今、改めて、貴方の思考の中に「身を捨つるほどの 祖国はありや」と、問わねばならない。


by yuyuu-yano | 2009-06-29 10:48 | 祖国
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