私は大学時代にアパート暮らしをした。 最初は下宿、続いて小さなアパートに引っ越した。 親の家が東京にあったのだが、戦後のドサクサで家族が地方に引っ越した時に、人に貸して、そのままになっていた。 借家人は居住権を盾に立ち退いてくれない。その後も交渉を続けて、ようやく自宅に戻れたのは10年前である。 こうした土地家屋関係の裁判は判例主義である。 戦後、所有権より居住権の方が強いという判例が連発されたため、多くの人は先祖代々の土地・家屋を失った。
でも、このエントリーで書きたいのは、そのことではない。
1970年頃のアパートの事である。 最初に借りたアパートは板橋区の北向きの4畳であった。 普通は4畳半なのであるが、何かの都合で4畳の部屋を作ったら借り手が無い。 さらに、北向きの部屋で太陽の光とも無縁であった。 賃料は月4500円であったと思う。 この価格に惹かれて借りたのであるが、風呂は無い。 近くの銭湯に通うのが、その時代の通常であった。 まあ「神田川」の歌詞のごとくである。 当時、私は長髪だったので「洗い髪が芯まで冷えて」の部分はよく分かった。 そして、トイレは共用であった。 台所も共用でありガス台が並んでいた。 ただ、自室にも小さな流しがあり、その水を電気ポットで沸騰させて珈琲を飲んだ。
今では、このようなアパートは、もう無いと思っていたが、まだ、存在していた。国家公務員宿舎である。
3年前ぐらいであったと思うが、あるイベントで霞ヶ関の某官庁にお勤めの若き女性と会って、立ち話をした。 その時に彼女は「私が住んでいる宿舎(独身寮)は建物が古く、いまだに風呂、トイレ、台所が共用なんですよ」と話していた。
そういうボロ宿舎が残っているのは知っていたが、霞ヶ関勤務の女性職員までとは思わなかった。 「私も昔は、そういう部屋に住でました」 と話したのだが「よく我慢できますね」「出るわけにはいかないの?」とは聞けなかった。 家が貧しくても、公務員は試験に合格すればなれる。 私の公務員への印象は、勤勉にして努力家である。 実業の世界(民間)の経験が無いが、その部分は本人たちも自覚しており、分からない部分は率直に聞いてくる。 何人もの人から話を聞いて、最後は自分で考えて結論を出し、それについて議論をしてくる。 役人との青臭い議論は実にエキサイティングである。 民間企業は利益第一であるから、効率的だが、それにより見落とすものが多い。そこを彼らは突いてくる。逆に、こちらも、その方法はフェアかも知れないが実効性が伴うのかを突く。
しかし、マスコミの過剰なまでの公務員批判で、最近はこうした青臭い議論はできないようになった。
「民間に出来ることは民間に」というスローガンは耳障りが良いが、公共の視点から権力を持って執行すべきことは多い。
駐車違反の取締りを民間に任せたが、これにより怖いお兄さん方のクルマは、全くの野放図の状態になった。 弱い立場の民間業者のクルマのみ、従前に増して厳しい取締まりに合っているのである。 重要なのは公的なものと民間との調和であると思う。
by yuyuu-yano
| 2009-05-24 11:56
| 祖国
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by 矢野友遊 カテゴリ
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