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我が家のゆとり教育

今年は下の子が高校3年生になる。

どうやら「ゆとり教育」が消える前に間に合ったようだ。

これは、我が家の子供たちにとって幸いであった。



今後、「ゆとり教育」が見直されると、

また、暗記中心、知識偏重教育が復活し、

言われた事しかやらない「指示待ち人間」が量産されるだろう。

企業の人事担当者は、頭を抱えることになる。



ゆとり教育の最大の良い点は、子供達が学校の先生に関わる時間が減り、自由に学習する時間が増えると言うことだ。



そもそも、学校の先生が、人間的にも優れ、分りやすい授業が出来て、子供たちを知的に、人間的に成長させることが可能であれば・・・「ゆとり」など必要なかったのである。



それが期待できないので、せめて土日は親が子供の個性に合わせた教育を行う・・・これが「ゆとり教育」である。



この話は、良く考えてみると先生を馬鹿にしている。

先生は立つ瀬がない。そこで、いつか必ず元の「詰め込み教育」に戻そうという動きがあるのは予測できた。



それに「総合的学習の時間」も、企画は素晴らしいが、これが出来る先生が少ない。自分でテーマを決めなくてはならないからだ。

詰め込み教育で育ち、問題意識も少なく、問題解決能力にも欠ける先生達には、そもそも企画は無理なのだ。

それで「総合的学習は時間の無駄」「学力が落ちる」・・・などの批判をして、こうした授業を潰そうとする。

これも予想できたのである。



もちろん優秀な先生も中にはいる。

授業が分りやすい・・・教え方の上手な先生は、子供の方が質問すれば、土曜に出ても教えてくれる。

総合的学習も素晴らしい授業をして、子供達に問題意識、調査能力、発表力が身に付いた例もある。

でも、それは偶然に良い先生に当たった場合だけである。



これに対して、親は子供の個性を理解して、ベストの教育プログラムを創造できる。



 「ゆとりには、地域社会と大人が土日は時間のゆとりを持って子供たちと過ごし、子供を鍛えてほしいという意味も込めていた」と有馬氏は言う。



当然である。これを実施しなければ、ゆとり教育など意味は無い。

学校の先生はモンスター・ペアレント等の言葉で「親は異常者の集団」とイメージ付けして、もとの知識偏重教育に戻したいのだと思う。

彼らの出来る授業は、子供に知識を強制的に詰め込むだけであり、それ以上は出来ない。ガリベン君の成れの果てだから。



これに対して、多くの親は自由な読書や体験学習を通して「生きる力」を育てたいと思っている。

我が家の子供、子供の友人、その親を見る限り、けっこう努力したと思う。



これは地域の力もあるが、ゆとり教育の世代の子供は読書の習慣が付いている。

土曜日に家族で図書館に出かけたのが良かったと思うが、

読書の楽しさを知ると、子供は集中するので、実に大量の本を読む。

図書館の子供向けの本は全て読んでしまい、小学校の上級からは古本屋まわり。

月1回は読んだ本をダンボールに詰めて売りに行っていた。

これができるのも土日が休みだからである。

そして中学、高校は受験する前の学校訪問では、まず図書館の本をチエックしていた。



子供に聞くと、友達も良く本を読むという。

本も読み、スポーツもやり、受験勉強もやる。

本を読み、調べて、発表する力が付くと、受験勉強も何とかなる。

考えるよりも、覚える方が簡単だからである。



これはガリベンの成れの果ての教師には理解しがたいだろう。

受験勉強という詰め込みを始める前は、クラスでもビリに近く、

始めたら3ケ月で急上昇し、トップグループに入った。

「とても進学は無理」と言っていた先生は沈黙してしまった。

「ゆとり」世代は、けっこう逞しいのである。


by yuyuu-yano | 2008-02-17 20:43
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